ワイン愛好家の、最後に行きつくところはブルゴーニュといわれています。

ピノ・ノワールやシャルドネといった、単一品種から造られてるブルゴーニュ・ワインですが、生産者によって出来上がるワインのスタイルや味わいは千差万別
格付け「テロワール」と呼ばれる畑を取り巻く環境的な要因が、違いを生み出していますが、造り手の個性が最もワインに影響を与えており、飲み手の心をつかんで離しません。
そして、優れた生産者ほど、畑の特徴やテロワールを正しく理解し、ワインにうまく反映させています。

この記事では、ブルゴーニュ・ワインの特徴をさっとおさらいをして、愛好家であれば是非とも押さえておきたいトップ生産者をご紹介していきます。

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ブルゴーニュワインの特徴とは

ブルゴーニュは、ボルドーと並んで、フランスの二大銘醸地の一つ
フランスのブルゴーニュ地方は、北東部に位置しています。
ボルドーワインと同じく、すでに4世紀には銘醸地として知られていました。
かつて、ブルゴーニュ公国の首都として栄えたディジョン市が中央に位置。
傾斜が東向きにある斜面が、「黄金丘陵(コート・ドール)」と呼ばれ、南北に続いています。
このコート・ドールは南北に、コート・ド・ニュイコート・ド・ボーヌの2つに分けられ、高品質なワインが多く生み出されてるエリアです。

ブルゴーニュ・ワインを知るうえで外せないコンセプトが、格付けです。

フランスでは、「原産地呼称制度」と言って、特定の地域や、そこで生産されるものの品質を保証する制度があります。
ワインを例に挙げれば、保証する一方で、その地域の特性を守るために、地区ごとのランクや呼び名、生産されるブドウ品種などを細かく規定
ブルゴーニュでは、生産者や村に対してのランク付けはなく、に対して格付けがされています。

グラン・クリュ(特級)と頂点として、下記の4つのランクに分類されます。

グラン・クリュ(特級)
プルミエ・クリュ(一級)
ヴィラージュ(村名)
レジオナル(地域名)

トップ生産者と言われるほど、グラン・クリュプルミエ・クリュを所有する割合が増え、細分化された畑の特性をうまく表現すると言われています。
この記事では、評価の高い生産者や赤ワインのグラン・クリュが多く集中するコート・ド・ニュイを中心にて見ていきたいと思います。

ぜひとも知っておきたいトップ生産者15選

ここからは、トップと評される優良生産者の歴史や、ワインのスタイルの詳細を見ていきます。
違ったドメーヌであっても、共通する醸造スタイルや、なぜトップと言われる所以がお分かりいただけるでしょう。

ドメーヌ・ルロワ / アルマン・ルソー / コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ
ジョルジュ・ルーミエ / エマニュエル・ルジェ / メオ・カミュゼ 
ジャック・フレデリック・ミュニエ / クロード・デュガ / ドゥニ・モルテ 
デュジャック / ロベール・グロフィエ / ドメーヌ・フーリエ
オリヴィエ・バーンスタイン / ルフレーヴ / コント・ラフォン

世界中のコレクターが探し求める
Domaine Leroy
ドメーヌ・ルロワ

ルロワには、ドメーヌとネゴシアンとドメーヌという大きく分けて2つの部門が存在します。
ここでは、ドメーヌのグラン・クリュにフォーカスして見ていきたいと思いますが、まずはネゴシアンについても簡単に見ていきましょう。

ネゴシアンであるメゾン・ルロワは、ルロワ社が契約するブドウ農家から買い付けたワインを使って醸造します。
今から約150年前となる1868年、初代当主のフランソワ・ルロワによって、オークセイ・デュレスに設立されました。
設立当初から、その実力は目を見張るものがあり、メゾン・ルロワはネゴシアンとしての実績を着実に積んでいきました。

現当主のラルー・ビーズ・ルロワは、1955年にルロワ社に参画しました。
彼女のテイスティング能力は、ブルゴーニュ随一と言われ、買い付けるワインも卓越したものばかり。
現在の名声を築いたのは、彼女のおかげといっても過言ではありません。

一方で、当時優良な栽培農家たちが次々にドメーヌを立ち上げ、高品質なぶどうの確保が難しくなってきたこともあり、自分が思った通りのワインを造りたいという思いを胸に、ついに1988年、ドメーヌ・シャルル・ノエラを買収し、自身のドメーヌ立ち上げます。
自社畑を持った後は、ブルゴーニュエリアではいち早くビオディナミを導入。
栽培にも徹底的にこだわり、驚くほどの低収量最上のぶどうをだけを収穫して、ワイン造りに取り組んでいます。

ドメーヌ・ルロワの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
シャンベルタン
シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ
ラトリシエール・シャンベルタン
リュショット・シャンベルタン
ロマネ・サン・ヴィヴァン
リシュブール
クロ・ド・ヴージョ
ミュジニー
クロ・ド・ラ・ロッシュ
コルトン
コルトン・シャルルマーニュ

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ジュヴレイ・シャンベルタンの巨星
Domaine Armand Rousseau
アルマン・ルソー

数多くの生産者がひしめくジュヴレイ・シャンベルタンにおいて、もっとも偉大なドメーヌの一つです。
20世紀初頭、ジュヴレ・シャンベルタンに一族の所有する小さな畑を寄せ集めて、アルマン・ルソーがドメーヌを設立。
婚姻によって畑を拡張し、徐々にシャルム・シャンベルタンクロ・ド・ラ・ロッシュシャンベルタンなどのグラン・クリュを取得し、ドメーヌの基礎を築きました。

昔のブルゴーニュでは、できたワインを樽でネゴシアンへ売却するのが一般的で、商慣習上、瓶詰めはタブーとされていました。
ですが、アルマン・ルソーはほかの生産者と協力して、いち早くドメーヌでの瓶詰めを開始し、ブルゴーニュ・ワインの品質向上に大きく貢献しました。

現在、所有する畑は15haを超えるまでに拡大。
ヴィラージュはわずか3ha、プルミエ・クリュが4ha弱、残りの約8haがグラン・クリュという充実ぶりです。

このドメーヌのモットーとして各クリマの平均樹齢を40年以上に保つことがあり、そのため定期的な植え替えを行っています。
これも所有する各畑が一定以上の面積だからできることです。
ブドウ栽培においては認証こそ取得していないものの、事実上のビオロジックで除草剤や殺虫剤は使用していません。
シャンベルタンとクロ・ド・ベーズは100%新樽。
他のグラン・クリュはワインの特徴によって使い分けています。

アルマン・ルソーの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
シャンベルタン  
シャンベルタン クロ・ド・ベーズ  
リュショット・シャンベルタン クロ・デ・リュショット  
シャルム・シャンベルタン  
マジ・シャンベルタン  
クロ・ド・ラ・ロシュ  

プルミエ・クリュ
ジュヴレ・シャンベルタン クロ・サン・ジャック  
ジュヴレ・シャンベルタン ラヴォー・サン・ジャック  
ジュヴレ・シャンベルタン カズティエ  

ヴィラージュ
ジュヴレ・シャンベルタン

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洗練と繊細の極致
Domaine Comte Georges de Vogue
コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ

ヴォギュエの歴史は1450年まで遡ります。
ジャン・モワソンが、最初の建物を建設した時から領地は一族の門外に渡ったことの無いという由緒あるドメーヌです。
1766年に、ドメーヌを所有するカトリーヌ・ブーイエがスリス・メルシオール・ド・ヴォギュエと結婚し、ヴォギュエの名が登場。
今日のドメーヌ名であるジョルジュ・ド・ヴォギュエ伯爵がドメーヌを継承したのは1925年のことでした。
その後、彼は50年以上にわたりドメーヌを運営し、現在の名声を確立していくことになります。

ところが、1970~80年代は品質の低下が著しく、ドメーヌは不振にあえぐことに。
転機となったのが、1987年にドメーヌの当主が交替にあたり、スタッフの総入れ替えが行なわれましたことでした。
とりわけ、醸造家フランソワ・ミエを招聘したことが、復活のカギとなりました。
現座でも、彼はドメーヌの管理・運営に携わっています。

10.85haのミュジニーのうち、その7割に相当する7.2haの自社畑を持ち、ミュジニー最大の所有者です。
そのうち0.64haにはシャルドネが植えられており、年間わずか160ケースほどしか生産されない極めてレアなミュジニーの白ワイン、「ミュジニー・ブラン」を生み出しています。
しかし、1990年代に植え替えが始まり、理想としている樹齢に満たないという理由でこのミュジニー・ブランは1993年が最後のリリースとなりました。
それ以降は、特級でありながらあえて格下げした、「ブルゴーニュ・ブラン」としてリリースされていましたが、2015年にミュジニー・ブランが復活。

ボンヌ・マールもこの区画最大の2.7ha、レ・ザムルーズには0.56haの畑を所有。

また、畑名のないシャンボール・ミュジニー・プルミエ・クリュは、グラン・クリュのミュジニーのうち、樹齢が25年に満たないブドウを使用。
ミュジニーの表記に、「ヴィエイユ・ヴィーニュ」(古樹)を加えているのは、樹齢への強いこだわりを表しています。

ブドウ畑はほとんどが有機農法で行われており、収穫量も厳しく制限。
醸造では、グラン・クリュの造り手としては珍しく強い樽香を嫌い、新樽の比率は、ヴィラージュで15%、グラン・クリュでも、ヴィンテージにもよりますが35%程まで抑えられています。

ヴォギュエの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
ボンヌ・マール
ミュジニー
ミュジニー・ブラン
 
プルミエ・クリュ
シャンボル・ミュジニー レ・ザムルーズ  
シャンボル・ミュジニー プルミエ・クリュ  

ヴィラージュ
シャンボル・ミュジニー

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シャンボールのエレガンスを体現
Domaine Georges Roumier
ジョルジュ・ルーミエ

世界でもっともエレガントなワインと評される、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエ。
このシャンボール・ミュジニーに本拠を置くドメーヌは、1924年に現当主クリストフの祖父、ジョルジュが結婚の折に花嫁の実家(カンカン家)からもたらされたプルミエ・クリュのレザムルーズレ・フュエ、そしてグラン・クリュのボンヌ・マールから始まりました。
その後、ボンヌ・マールを買い足し、さらにはモレ・サン・ドニのプルミエ・クリュ、クロ・ド・ラ・ビュシエールを単独所有するに至ります。
世界中のコレクター垂涎の的と言われる、わずか0.1haのミュジニーは、ドメーヌ創設時からジョルジュがフェルマージュ(賃貸耕作)していた区画を、1978年になって子供のジャン・マリーが買い取りました。

ドメーヌの多くの畑は親戚からフェルマージュしていますが、グラン・クリュのリュショット・シャンベルタンシャルム・シャンベルタンの2つは、クリストフ個人が他の栽培農家と賃貸耕作契約を結んで造っているため、ドメーヌ名はクリストフ・ルーミエとなっています。
またシャンボール・ミュジニープルミエ・クリュのコンボットは、以前ヴィラージュのシャンボール・ミュジニーに混ぜられていたもので、2005年から単独で瓶詰めされるようになりました。

1992年からは、全面的に有機栽培を導入しており、収量を極めて低く抑えて、収穫も手摘みで行われます。
それまでの畑での選果に加え、2003年からは醸造所でもブドウの選別が行われるようになり、より厳しい基準でチェックされてます。

新樽の使用率は、最高でも30パーセント程度に抑えられており、約16ヶ月の熟成ののち、清澄、濾過も行わずに瓶詰めを行っています。

また、ルーミエというと希少性の高いレ・ザムルーズや、年600本にも満たないミュジニーばかりが注目されがちですが、1.6haの面積をもつボンヌ・マールはこの畑の中でも最上のワインといっても過言ではありません。
肉付きの良いワインを生むテール・ルージュと、硬質でミネラルの強いワインを生むテール・ブランシュのふたつにほぼ等しく区画をもち、この性格の異なるふたつのワインがひとつになることで、ボンヌ・マール本来の姿を表していると言えるでしょう。

ジョルジュ・ルーミエの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
ミュジニー  
ボンヌ・マール  
リュショット・シャンベルタン(クリストフ・ルーミエ)
シャルム・シャンベルタン(クリストフ・ルーミエ)
コルトン・シャルルマーニュ  

プルミエ・クリュ  
シャンボル・ミュジニー アムルーズ  
シャンボル・ミュジニー レ・クラ  
シャンボル・ミュジニー レ・コンボット  
モレ・サン・ドニ クロ・ド・ラ・ビュシエール

ヴィラージュ
シャンボル・ミュジニー  

レジオナル
ブルゴーニュ

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アンリ・ジャイエの後継者
Emmanuel Rouget
エマニュエル・ルジェ

最高品質への妥協なき姿勢の元、非常に繊細で芸術品とも言えるワインを生み出す偉大なドメーヌ、エマニュエル・ルジェ。
至高のブルゴーニュ・ワインを求めるものにとって羨望の的であり、入手困難なドメーヌの一つとして、多くのワインラヴァーを魅了しています。

エマニュエル・ルジェは、ブルゴーニュワインの神様といわれたアンリ・ジャイエの甥にあたります。
1976年からアンリ・ジャイエの元で教えを受け、共にワイン造りを行っていました。
アンリの引退後、実際に畑の管理から醸造の全てを任されていたこと、所有する大部分の畑を引き継いだことから、ルジェが本当の後継者であると言えるでしょう。

かつてアンリ・ジャイエが所有していた畑の中で、最も偉大であり幻とも言われているのが、ヴォーヌ・ロマネ クロ・パラントゥー
リシュブールの北部に面した北東向きの斜面に位置しており、総面積わずか1.1haのプルミエ・クリュの畑です。
現在ルジェと、アンリ・ジャイエとメタヤージュ(分益耕作)の契約をしていたメオ・カミュゼの2人のみが所有。
ルジェは、その半分以上の0.7haを所有していますが、その生産量の少なさにより入手困難なため、幻のワインとも呼ばれています。

ブドウ栽培はアンリ・ジャイエの哲学をしっかりと受け継ぎ、 ブドウは出来るだけ自然な方法で育て、適切な収穫時期を見極め、収穫量を厳しく抑えることを重視しています。
醸造においては、手摘みで収穫したブドウを100%除梗し、グランクリュとプルミエ・クリュは100%新樽、その他は約50%の新樽比率で熟成。
その後フィルターを通さずに瓶詰めし、濃厚で複雑さを極めていながら、エレガントで軽やかなスタイルに仕上がります。

エマニュエル・ルジェの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
エシェゾー

プルミエ・クリュ
ヴォーヌ・ロマネ クロ・パラントゥー
ヴォーヌ・ロマネ レ・ボーモン

ヴィラージュ
ヴォーヌ・ロマネ
ニュイ・サン・ジョルジュ
サヴィニー・レ・ボーヌ
コート・ド・ニュイ・ヴィラージュ

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アンリ・ジャイエの精神を引き継ぐ
Domaine Meo Camuzet
メオ・カミュゼ

メオ・カミュゼの歴史は、栽培農家であると同時に、コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・カミュゼに始まります。
エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがおらず、1959年に近親のジャン・メオにドメーヌを託して亡くなりました。
当時、ジャン・メオはド・ゴール政権の閣僚であったため、直接ドメーヌの管理をすることができませんでした。
そこで、畑は折半耕作の形で小作人に任せ、出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売却していました。
この時の小作人でドメーヌのワインを手がけていたのが、2006年に没したブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエです。

1980年代半ば、折半耕作の契約が終わるのを境に小作人たちも引退。
メオ家の元にブドウ畑が変換され、1985年から本格的にドメーヌ元詰めが始まりました。

ですが、パリにいたままでのドメーヌ経営が難しくなり、エティエンヌは、1989年に息子のジャン・ニコラ・メオにブルゴーニュの現場を託すことに。
なんと当時24歳のジャン・二コラは、ワイン造りとは無縁で、商業学校でマーケティングを学び、銀行で研修を受けた青年だったのです。
そこで、表向き引退を宣言したアンリ・ジャイエがドメーヌのコンサルタントとして、彼の指導に当たりました。

リシュブール、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトン(従来からあるクロ・ロニェに加え、2010年からペリエールとヴィーニュ・オー・サンを取得)といったグラン・クリュを所有。
戦争直後に、アンリ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネのプルミエ・クリュのクロ・パラントゥーを所有することでも有名です。
ちなみに、クロ・ド・ヴージョ城はかつてはカミュゼ家の所有であったことから、メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョの畑が、城の周囲と真下というもっとも素晴らしい位置を占めています。

ブドウ畑の大部分がビオロジックにより栽培し、醸造法はアンリ・ジャイエのスタイルを踏襲しており、完全除梗。
樽熟成における新樽率は、ヴィラージュで50%、プルミエ・クリュが60〜65%、グラン・クリュが100%で行っています。

またジャン・ニコラは、「メオ・カミュゼ・フレール・エ・スール」の名前で、ネゴシアンビジネスも行っています。
マルサネ、フィサン、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュジニー、ニュイ・サン・ジョルジュなど、コート・ド・ニュイのアペラシオンを網羅。
これらの中には、短期賃貸契約によりメオ・カミュゼのスタッフが、畑の管理から収穫まで、ドメーヌの畑と同様に仕事をしているものもあります。
また、ブドウやマスト(果醪、もろみ)を買い付ける場合でも、剪定や収穫時の選果を行い、徹底して品質の安定を図っているのが特徴です。

メオ・カミュゼの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
リシュブール
クロ・ド・ヴージョ
エシェゾー レ・ルージュ・デュ・バ
コルトン クロ・ロニェ
コルトン ラ・ヴィーニュ・オー・サン
コルトン レ・ペリエール

プルミエ・クリュ
ヴォーヌ・ロマネ オー・クロ・パラントゥー
ヴォーヌ・ロマネ オー・ブリュレ
ヴォーヌ・ロマネ レ・ショーム
ニュイ・サン・ジョルジュ オー・ブド
ニュイ・サン・ジョルジュ オー・ミュルジェ

ヴィラージュ
ヴォーヌ・ロマネ
ニュイ・サン・ジョルジュ

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異色の経歴を持つ当主が導く名門ドメーヌ
Jacques Frederic Mugnier
ジャック・フレデリック・ミュニエ

ディジョンで酒商を営み財をなしたミュニエ家は、1863年に当時の大地主であったマレ・モンジュ家から現在の本拠地となっているシャトー・ド・シャンボール・ミュジニィの邸宅を購入しました。
その際に4haのブドウ畑も含まれていたため、1863年にドメーヌを設立。
しかし1950年、金銭的な問題から単独所有畑(モノポール)であるクロ・ド・ラ・マレシャルを含むブドウ畑の大部分を、他の生産者に貸出さざるを得なくなりました。

現当主のフレデリック・ミュニエがシャンボール・ミュジニーに帰ってきたのは1985年、30歳の時でした。
スイスで生まれ、石油関連のエンジニアとして世界を飛び回り、定期便のパイロットとしても活躍した異色の経歴の持ち主。
ボーヌの醸造学校でワイン造りの基礎を学び、隣人のクリストフ・ルーミエやヴォルネイのミシェル・ラファルジュに指導を仰ぎました。

シャンボールに4ha強を所有(ミュジニィ、ボンヌ・マールと2つのグラン・クリュを擁する)し、ニュイ・サン・ジョルジュに10ha弱を所有します。
もともとミュニエ家が前世紀初頭に取得した後、第二次大戦以降フェヴレ家に貸し出されていたニュイ・サン・ジョルジュのプルミエ・クリュ、クロ・ド・ラ・マレシャルは看板畑の一つ。
貸し出されていた間の50年(1950年~2004年)はフェヴレ社でも、フラッグシップとして扱われていたほど素晴らしい畑です。

ビオロジックに限りなく近いブドウ栽培を行い、人間の介入をできる限り避けています。
除草剤や殺虫剤の散布はせず、必要に応じてベト病対策の薬品をわずかにスプレーするのみにとどめる徹底ぶり。
除梗は100%行い、樽熟成期間はおよそ17ヶ月で、新樽の割合はどのアペラシオンでも15〜20%と比較的低く抑えているのが特徴です。

ジャック・フレデリック・ミュニエの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
ボンヌ・マール
ミュジニー

プルミエ・クリュ
シャンボル・ミュジニー レ・フュエ
シャンボル・ミュジニー レザムルーズ
ニュイ・サン・ジョルジュ クロ・ド・ラ・マレシャル ルージュ
ニュイ・サン・ジョルジュ クロ・ド・ラ・マレシャル ブラン

ヴィラージュ
シャンボル・ミュジニー
ニュイ・サン・ジョルジュ クロ・デ・フルシュ

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マニアが追い求める孤高の造り手
Claude Dugat
クロード・デュガ

デュガ家のブドウ栽培の歴史は、オーヴェルニュで家業をしていたアネット・デュガが、ブルゴーニュに移住した19世紀初頭までさかのぼります。
その後、アネットはワイン生産者の娘と結婚し、ジュヴレ・シャンベルタンのドメーヌとしての歴史が始まりました。

1955年、クロードの父、モーリスはジュヴレ村に13世紀に建てられたガロ・ロマンの建物を購入。
この建物は、かつて教会に収めていたブドウや穀物を保存する古い納屋があり、現在はワイナリーとして使われています。

所有する畑は6ha余り。
そのうち1.5haはブルゴーニュ・ルージュが占めるので、ヴィラージュ以上はわずか4.5haしかありません。
クロードの父、モーリスの時代はできあがったワインはほぼ全量、ネゴシアンに売却していましたが、クロードが少しづつドメーヌでの瓶詰めを始め、1993年からは全量元詰めとなりました。

クロード・デュガの栽培するブドウは、とても小粒なうえ、徹底的な選果をするため生産量はきわめて少量です。
とりわけグラン・クリュのグリオット・シャンベルタンシャペル・シャンベルタンは驚くほどの希少さ。
グリオットは0.25haで、よい年でも2樽程度(約600本)しか造ることができず、0.14haのシャペルはさらに希少で、1樽分しか生産できません。

「畑仕事がすべての品質を決める」「ブドウの出来がすべて」をモットーに、化学肥料を使わず、極力自然に近い状態で栽培、醸造を行います。
グラン・クリュは100%新樽で18か月、ヴィラージュで50%新樽、50%1年落ちの樽で12~18か月熟成させ、無濾過で瓶詰めされます。

クロード・デュガの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
シャペル・シャンベルタン  
グリオット・シャンベルタン  
シャルム・シャンベルタン  

プルミエ・クリュ
ジュヴレ・シャンベルタン ラヴォー・サン・ジャック  
ジュヴレ・シャンベルタン プルミエ・クリュ

ヴィラージュ
ジュヴレ・シャンベルタン  

レジオナル
ブルゴーニュ・ピノ・ノワール  

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父の名声を守りながら更なる進化へ
Denis Mortetドゥニ・モルテ

1993年、ドゥニ・モルテが、父のシャルルから引き継ぎ誕生したドメーヌ。
ワイン造りは、あのアンリ・ジャイエから教わり、収量を抑え、厳しい選果を行うスタイルでした。
重厚感あふれる彼のワインは、ロバート・パーカーをはじめとしたジャーナリストらから絶賛され、一躍トップ生産者の仲間入りを果たし、カルト的な地位を確立しました。

しかし2006年、ドメーヌは、ドゥニの突然の死に見舞われます。
ジャーナリストや有名雑誌の評価に比例して価格も高騰し、仕事に没頭すればするほど、彼が思い描くスタイルから離れてい結果に。
類まれな才能ゆえの葛藤からか、2006年1月自らの命を断ち、その生涯を終えました。
全世界のワイン関係者や愛好家に大きな衝撃が走る中、当時はまだ24歳だった息子のアルノー・モルテが、ドメーヌを継承。

突如としてドメーヌを引き継ぐことになったアルノーは専門学校を中退し、メオ・カミュゼとドメーヌ・ルフレーヴで研修。
13歳の頃からすでに父の手伝いをさせられており、2000年以降フルタイムで働いたのは不幸中の幸いと言えるかもしれません。

ルフレーヴで研修したのは自身もわずかながら白ワインを手がけ、ビオディナミにも興味があったからだと言います。
研修の結果、ビオディナミの難しさを理解し、現在11.2haある畑は、きわめてビオロジックに近く、化学肥料、殺虫剤、除草剤には頼らない栽培がとられています。

ドゥニ時代のドメーヌのワインは、いかにもジュヴレ・シャンベルタンらしい、強い抽出凝縮感をもつワインでしたが、アルノーのスタイルは、力強さと同時に、フィネスエレガンスを備えたもので、口当たりはスムーズなもの。
原則として完全除梗し、ほぼ100%新樽熟成だった父の時代から変化し、現在はヴィラージュのジュヴレ・シャンベルタンで60〜70%まで下げています。

また、アルノーはマルサネやフィサンなど、コート・ド・ニュイ北部のアペラシオンへの関心を高め、この地域の畑の面積を増やしています。
これらのワインの品質も非常に優れており、他のアぺラシオンと比べるととてもリーズナブルなので、入門編としても最適です。

ドゥニ・モルテの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
シャンべルタン  
マジ・シャンベルタン
エシェゾー
ボンヌ・マール
クロ・ド・ヴージョ
 
プルミエ・クリュ
ジュヴレ・シャンべルタン ラヴォー・サン・ジャック  
ジュヴレ・シャンべルタン レ・シャンポー  
ジュヴレ・シャンベルタン レ・シャンポネ  
ジュヴレ・シャンべルタン プルミエ・クリュ  
シャンボル・ミュジニー オー・ボー・ブリュン  

ヴィラージュ
マルサネ レ・ロンジュロワ  
フィサン シャン・プヌボー  
ジュヴレ・シャンベルタン メ・サンク・テロワール 

レジオナル
ブルゴーニュ キュヴェ・ド・ノーブル・スーシュ 
 

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一代で築き上げた名声
Domaine Dujac
デュジャック

今やモレ・サン・ドニを代表する大ドメーヌとして勇名を馳せるドメーヌ・デュジャック
しかし、設立からわずか45年と、その他のトップ・ドメーヌ比べると比較的歴史は浅いです。

創設者のジャック・セイスはベルギー出身。
ドメーヌ創設の前に2年をブルゴーニュで過ごし、ヴォルネイの名門ラ・プス・ドールでワイン造りを学びました。
その間に、DRCのオベール・ド・ヴィレーヌやアルマン・ルソーのシャルル・ルソーらと交流。
そして1968年に4.5haのドメーヌ・グライエを買い取り、自分の名前、ジャックを冠してドメーヌ・デュジャックと名付けました。

2000年にジャックの息子、ジェレミーは父のサポートの元、「デュジャック・フィス・エ・ペール」の名前でネゴシアンビジネスを開始。
このデュジャック・フィス・エ・ペールは、ネゴシアンといっても畑の管理や手入れ、ブドウの収穫までドメーヌのスタッフが行います。
ブドウの購入条件は、量に応じてではなく面積単位なので、収量制限も自分たちの考え通りに行うことが可能に。
ドメーヌとネゴシアンで重複するアペラシオン(例えば村名モレ・サン・ドニ)があっても、それぞれ別々に醸造、瓶詰めされます。

2005年には、ヴォルネイのドメーヌ・ド・モンティーユと共同で、ドメーヌ・トマ・モワイヤールを買収。
これにより、ドメーヌの所有畑のラインナップはより充実し、シャンベルタンロマネ・サン・ヴィヴァンが増えて、グラン・クリュだけで7つとなりました。
もともと所有していたボンヌ・マールとヴォーヌ・ロマネのプルミエ・クリュのボーモンは面積が増し、ヴォーヌ・ロマネでも最高の1級畑と謳われるマルコンソールには、新たに1.57haという広い面積を所有することになった。

また、コート・ド・ニュイでは珍しく白ワインも生産しています。
1985年の霜害で、村名モレ・サン・ドニの一部が枯死したのを機会にシャルドネを植え、モレ・サン・ドニ・ブランとしてリリースしたのが始まりです。
さらにはモレ・サン・ドニのプルミエ・クリュ、モン・リュイザンに入手した0.6haの畑にもシャルドネを植え、2000年からリリースを開始しています。

栽培では1987年からリュット・レゾネをとり、2001年からは徐々にビオロジックへと移行。
現在はビオディナミを大半の畑で採用しています。

デュジャックの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
シャンベルタン
シャルム・シャンベルタン
クロ・サン・ドニ
クロ・ド・ラ・ロシュ
ボンヌ・マール
エシェゾー
ロマネ・サン・ヴィヴァン

プルミエ・クリュ
ジュヴレ・シャンベルタン オー・コンボット
シャンボル・ミュジニー レ・グリュアンシェール
モレ・サン・ドニ レ・モン・リュイザン・ブラン
モレ・サン・ドニ プルミエ・クリュ・ルージュ
ヴォーヌ・ロマネ レ・ボー・モン
ヴォーヌ・ロマネ オー・マルコンソール

ヴィラージュ
モレ・サン・ドニ ルージュ
モレ・サン・ドニ ブラン
シャンボル・ミュジニー

レジオナル
ブルゴーニュ・ブラン

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レ・ザムルーズ最大の所有者
Robert Groffier
ロベール・グロフィエ

ロベール・グロフィエの本拠地はモレ・サン・ドニですが、所有畑の多くはシャンボール・ミュジニーという珍しいドメーヌ。
19世紀に、フレデリック・グロフィエが創業し、世界恐慌から間もない1933年、ロベールの父ジュールが、レ・ザムルーズに隣接するプルミエ・クリュ、オー・ドワやグラン・クリュのボンヌ・マールを取得し、規模を拡大していきました。
しかもシャンボール・ミュジニーの偉大なプルミエ・クリュ、レ・ザムルーズ最大の所有者でもあります。

昔は、樽でネゴシアンへ販売していましたが、ロベールの妻であるジョルジェットがドメーヌ元詰めを勧め、1973年からは自分たちの手で瓶詰めを開始。
彼女の指揮の下、ドメーヌや醸造設備を刷新し、素晴らしいワインの数々を生み出すようになりました。

収穫されたブドウは、ヴィンテージの出来に応じて100%~30%除梗を行います。
新樽の使用は控え目で、ヴィラージュのジュヴレ・シャンベルタンで20%、プルミエ・クリュのレ・ザムルーズで40~50%、グラン・クリュのボンヌ・マールで50~60%程度に抑え、ブドウ本来の味わいを大切にしたワイン造りが行われています。

ロベール・グロフィエの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
シャンベルタン クロ・ド・ベーズ  
ボンヌ・マール  

プルミエ・クリュ
シャンボル・ミュジニー レ・ザムルーズ  
シャンボル・ミュジニー レ・サンティエ  
シャンボル・ミュジニー レ・オー・ドワ  

ヴィラージュ
ジュヴレ・シャンベルタン  

レジオナル
ブルゴーニュ  
ブルゴーニュ・パストゥグラン  

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世界中が追い求める少量生産のドメーヌ
Domaine Fourrier
ドメーヌ・フーリエ

19世紀半ばに、ジュヴレイ・シャンベルタンを本拠地として創業した老舗ドメーヌ・フーリエ。
1967年、ワイン醸造中に不慮の事故で亡くなってしまった3代目当主の代わりに、現当主の父にあたるジャン・クロード・フーリエは、なんと14歳でワイン造りを始めることとなります。
その後、ジャン・クロードの大叔父であるフェルナン・ペルノの助けもあり、「ペルノ・フーリエ」という名でドメーヌはしっかりと存続されていきました。
ペルノ氏の死を境に、「ジャン・クロード・フーリエ」と改称しましたが、その後ジャン・クロードは1994年に50歳の若さで引退。
当時23歳であった現当主のジャン=マリー・フーリエにドメーヌを引き継ぎ、名称も「ドメーヌ・フーリエ」としました。

ジャン=マリーは、ボーヌのワイン農業高校を卒業後、父のジャン=クロード氏の仕事を手伝いながら、ブルゴーニュ大学の醸造講座に通いました。
88年に半年間、ブルゴーニュの神様と呼ばれたアンリ・ジャイエの下で研修を受けたり、93年にはオレゴンに渡り、ジョセフ・ドルーアンでアメリカのピノ・ノワール造りを学びました。
その後、本格的にドメーヌへ参画し、父を手伝いました。

歴史の古いドメーヌのため、1910年に植樹したクロ・サン・ジャック、1928年に植樹したコンブ・オー・モワンヌなどを所有。
ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サンドニ、シャンボール・ミュジニィ、ヴージョに9.5haを所有し、プルミエ・クリュとグラン・クリュが所有面積の70%ほどを占めるドメーヌです。
フーリエは、「ブルゴーニュでは、テロワールを尊重すれば何も新たに付け加えるものはない」という彼の哲学を貫き通し、ぶどうの品質とテロワールの表現に徹底的にこだわった、極上のブルゴーニュを生み出しています。

栽培はリュット・レゾネで行い、収量制限し、選別はかなり厳しく行います。
ブドウ由来のタンニンこそが、ピノ・ノワールを真に表現するとの考えから、100%除梗。
熟成時、新樽比率は20%に抑え、澱引きは行わずに無濾過・無清澄で瓶詰めされます。

2011年からは、「ジャン・マリー・フーリエ」という名前でネゴシアン業にも進出。
自社畑とは被らないエリアの最高品質のぶどうから少量生産でワイン造りに取り組んでいます。

ドメーヌ・フーリエの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
グリオット・シャンベルタン

プルミエ・クリュ
ジュヴレイ・シャンベルタン クロ・サン・ジャック ヴィエイユ・ヴィーニュ
ジュヴレイ・シャンベルタン レ・シェルボード ヴィエイユ・ヴィーニュ
ジュヴレイ・シャンベルタン コンブ・オー・モワンヌ  ヴィエイユ・ヴィーニュ
ジュヴレイ・シャンベルタン レ・シャンポー ヴィエイユ・ヴィーニュ

ヴィラージュ
ジュヴレイ・シャンベルタン ヴィエイユ・ヴィーニュ
ジュヴレイ・シャンベルタン オー・エシェゾー ヴィエイユ・ヴィーニュ
シャンボール・ミュジニィ ヴィエイユ・ヴィーニュ
モレ・サン・ドニ クロ・ソニン ヴィエイユ・ヴィーニュ

レジオナル
ブルゴーニュ・ブラン

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もっとも注目を集める新生ネゴシアン
Olivier Bernstein
オリヴィエ・バーンスタイン

ブルゴーニュの最高の区画と樹齢の高いブドウの樹、特に1級特級だけにフォーカスした「マイクロ・ネゴシアン」です。

※ネゴシアンというくくりにはなりますが、実質、栽培、醸造を行っており、その圧倒的な品質と評価の高さから、この記事内でご紹介いたします。

オリヴィエは、幼少期からワイン生産地を訪れ、畑や収穫などに接するうちに、その魅力に取りつかれ、ブルゴーニュ・ボーヌで醸造の勉強を始めました。
2002年、ヴォーヌ・ロマネにてアンリ・ジャイエの下で研修をした後、南フランス、ルーション地方トータヴェルに8haの畑を購入、自分のドメーヌである「マ・ドゥ・ラ・ドゥヴェーズ」を設立。
ここで造られたワインは、ピエール・ガニェール、マルク・ヴェラ、タイユヴァン、ルドワイヤンなど錚々たるグラン・メゾンにオン・リストされ一世を風靡しましたが、2007年、ネゴシアン・ビジネスを開始するためブルゴーニュに戻ってきました。

ですが畑を所有していないので、他の栽培農家から買い付けたブドウにて醸造を行っていますが、並のネゴシアンとはブドウへのこだわりが大きく違います。
買い付けるのは1級と特級のブドウのみで、しかも樹齢の高い樹に限るこだわりぶり。
現在は、自社畑はジュヴレ・シャンベルタン シャンポーマジ・シャンベルタンを所有。
レンタル契約している畑の所有者名については非公開です。

さらには、単にブドウを買うのではなく、畑のオーナーには一切触らせないというスタイル。
契約畑、自社畑に関わらず、全ての区画において、オリヴィエの右腕であるドメーヌ・デュガ・ピィの当主ベルナール・デュガの甥、リシャール・セガンを中心とするチームで一年を通じて、樹の手入れから収穫までを行います。
醸造もリシャールを中心として、ジュヴレ・シャンベルタンにあるワイナリーで行います。
当初はアンリ・ジャイエの流れをくみ、完全除梗で造っていましたが、ワインに複雑味、ストラクチャー、スパイシーさなどを与えるため、2009年からは約半分を全房のまま使用しています。

新樽の使用率は、グラン・クリュで100%、プルミエ・クリュで50%使用しています。
ファースト・ヴィンテージとなった2007年は、10種類、800ケースのワインを造りました。
高樹齢の樹から採れるブドウは収穫量が限られているため、各ワインの生産量はごく僅か。
ジャーナリストらの評価も軒並み高く、年々入手が難しくなっています

オリヴィエ・バーンスタインの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
シャンベルタン
シャンベルタン クロ・ド・ベーズ
マジ・シャンベルタン
シャルム・シャンベルタン
クロ・ヴージョ
クロ・ド・ラ・ロッシュ
ボンヌ・マール
コルトン・シャルルマーニュ

プルミエ・クリュ
ジュヴレイ・シャンベルタン レ・カズティエ
ジュヴレイ・シャンベルタン レ・シャンポー
シャンボール・ミュジニー レ・ラヴロット

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世界最高峰の白ワイン生産者
Domaine Leflaive
ルフレーヴ

ピュリニー・モンラッシェにとどまらず、ブルゴーニュの白ワインにおいて最高の造り手と言われる、ドメーヌ・ルフレーヴ。

20世紀初頭、ジョゼフ・ルフレーヴが一族の畑を相続してドメーヌを設立。
その後、2人の息子ジョーとヴァンサンの時代に評価を確立しました。

1990年になってヴァンサンの娘アンヌ・クロードが参画。
1994年以降は一人でドメーヌの経営にあたり、圧倒的な品質で世界最高峰の地位を確固としたものにしました。
残念ながら2015年に他界し、現在は、彼女の甥、ブリス・ド・ラ・モランディエールが引き継いでいます。

ルフレーヴは、ピュリニー・モンラッシェにおよそ25haものブドウ畑を所有する大ドメーヌであり、その大部分をグラン・クリュプルミエ・クリュが占めています。
プルミエ・クリュのクラヴォワヨンにおいては、クリマの総面積5.5ha中じつに4.7haを所有する半ば独占状態
グラン・クリュのシュヴァリエ・モンラッシェも 7.4haのうち2haを所有し、1ドメーヌの所有面積としては2番目に大きいドメーヌです。
シュヴァリエ・モンラッシェの評価があまりに高いため、「ルフレーヴにモンラッシェは必要なし」と言われていたが、1991年、ついにモンラッシェを入手。
面積は約0.08haに過ぎず、毎年たった1樽造るのがやっとの希少さです。

また、ルフレーヴはピュリニー・モンラッシェとムルソーに挟まれたブラニー村にも畑を所有。
ドメーヌ唯一の赤ワインを醸造していたが、1995年に一部をシャ ルドネに植え替え、2000年にムルソー・プルミエ・クリュ・スー・ル・ド・ダーヌとしてリリースしています。
2004年に、残りの区画もシャルドネに植え替えたため、現在のラインナップに赤ワインはなくなりました。

さらに2004年、南のマコネ地区に9.33haの畑を取得し、同じ年からマコン・ヴェルゼとして醸造を始めました。
ルフレーヴのラインナップの中でも比較的生産量が多く、価格も手頃なためとても人気を集めています。

ルフレーヴの特徴は、ビオディナミによるブドウ栽培です。
80年代末、ブドウ畑の状態に疑問を抱いたアンヌ・クロードは、地質学の専門家であるクロード・ブルギニヨンの講義を聞いたのがきっかけで、ビオディナミに傾倒。
故フランソワ・ブーシェの指導のもと、天体の運行に従って農作業を行い、自然界の物質から作られた特種な調合物で土壌の活性化を図る、ビオディナミを実践しました。
ルフレーヴのワインはいずれの畑もテロワールをありのまま表現したもので、行き過ぎた凝縮感や強い樽香とは無縁なスタイルです。

2009年からは「ルフレーヴ・エ・アソシエ」の名前でネゴシアンを始め、買いブドウによるワインを少量生産。
他のネゴシアンと同様に、ブドウ栽培からルフレーヴのスタッフが携わり、栽培方法もビオディナミがとられています。

ドメーヌ・ルフレーヴの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
モンラッシェ  
シュヴァリエ・モンラッシェ
バタール・モンラッシェ  
ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ

プルミエ・クリュ
ピュリニー・モンラッシェ レ・ピュセル  
ピュリニー・モンラッシェ レ・フォラティエール
ピュリニー・モンラッシェ レ・コンベット  
ピュリニー・モンラッシェ クラヴォワヨン  
シャサーニュ・モンラッシェ ラ・マルトロワ  
ムルソー スー・ル・ド・ダーヌ  

ヴィラージュ
ピュリニー・モンラッシェ  
マコン・ヴェルゼ  
マコン・ヴェルゼ ル・モンテ  
マコン・ヴェルゼ イジェ  
マコン・ソリュトレ  
プイィ・フュイッセ  
プイィ・フュイッセ アン・ヴィニュレ  
サン・ヴェラン

レジオナル
ブルゴーニュ  

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ムルソーの頂点
Domaine des Comtes Lafon
コント・ラフォン

ムルソーの頂点に君臨する生産者としてだけではなく、世界でも屈指と評されるコント・ラフォン。
ルフレーヴコシュ・デュリと並んで、ブルゴーニュを代表する白ワイン生産者の一つです。

1894年、ムルソーでマリー・ポッシュとジュール・ジョセフ・ラフォンが結婚し、コント・ラフォンが始まりました。
その後二人は、ムルソーやヴォルネィの銘醸畑のなかでも最上の区画を手にいれ、さらに1991年にはモンラッシェの畑を買い足し、その後のドメーヌの歴史の足掛かりを着実に築いていきまました。

一方、二人の子供たちは、ブドウ栽培の仕事に就くことを好まず、畑を小作人に任せました。
転機となったのは、1956年、3代目レネがドメーヌを引き継いだことでした。
彼は、小作人の協力を得ながら、ブドウを植え替え、ブドウ畑を改良。
1961年には、造ったワインのすべてを自家瓶詰めするようになり、ドメーヌの名声が確立されていきました。

現在、コント・ラフォンを率いているのは、4代目当主ドミニク・ラフォン。
1985年にドメーヌを引き継いだ彼は、小作人に任せていたブドウ畑を、契約満了の度に、畑を自分の手に取り戻し、自家栽培に転換していきました。

1999年、マコネのミイィ・ラ・マルティーヌを買収し、レ・ゼリティエ・ドゥ・コント・ラフォンという名前で、マコンに進出。
また、2008年にコント・ラフォンを次世代に引き継いだ後は、彼自身の愉しみのために、ネゴシアンとして自らの名前を冠したワイン、ドミニク・ラフォンもリリースしています。

「ワインづくりは畑から」との信念から、ワイン作りとはどのようなブドウを育てるのかという原点に立ち戻りました。
1990年代前半からは有機栽培を行い、1990年代後半には、ビオディナミに転換し、収穫量も徹底的に制限したスタイルへと移行しています。

コント・ラフォンの生産するアぺラシオン

グラン・クリュ
モンラッシェ

プルミエ・クリュ
ムルソー ペリエール
ムルソー シャルム
ムルソー ジュヌヴリエール
ムルソー グット・ドール
ムルソー ポリュゾ
ムルソー ブシェール
ピュリニー・モンラシェ シャン・ガン
ヴォルネイ サントノ・デュ・ミリュ
ヴォルネイ シャンパン
モンテリー レ・デュレス

ヴィラージ
ムルソー
ムルソー クロ・ド・ラ・バール
ムルソー デジレ
モンテリー

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終わりに

トップと呼ばれる優良生産者をご紹介してまいりましたが、いかがでしたでしょうか?

世界中のワイン愛好家が探し求めるトップ生産者のワイン。
生産量も少なく価格も高騰しているため、実際に入手してテイスティングすることはなかなか難しいかもしれません。

ですが、ご紹介した通りネゴシアンビジネスを始めているドメーヌも多数あり、リーズナブルにトップ生産者の醸造スタイルや味わいの片鱗を楽しむのも一興です。
もちろん、皆さんが、レストランやご自宅でこうした希少なワインを楽しまれる機会があった時に、この記事が少しでもお役に立てることを願っております。

また、もう一歩踏み込んで、ヴィンテーのブルゴーニュを愉しんでみたいという方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方には、ブルゴーニュとシャンパーニュの古酒ワインをテーマにしたフレンチレストラン、「reverence R レヴェランス アール」がおすすめです。
抜栓後の温度変化やお料理との組み合わせで変化する、古酒ワインの様々な表情を愉しむこのレストランでは、毎夜、古酒ワインに魅せられた人々が集い、学びを深めていらっしゃいます。
ワインがお好きな方にとって、ワインを味わうひととき、その体験そのものが深い学びであり、至福のとき。
隠れ家サロンのような趣があり、ワインへの理解を深めたいという方にぜひ訪れていただきたい名店です。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
みなさまのワインライフが、日々素晴らしいものでありますように。